キラッと光ろう★ 組織の力で価値を最大に!

組織の課題を対話で解決する専門家 大坪加奈子

”自律的人材”の育成を考える

 何十年も前から「企業は人なり」と言われている。実際には、モノやサービスを提供しているが、それを創り出しているのは「人」であることは、誰もが知る事実だ。一方で、「人」に求められる要素が、ここ十数年で大きく変わりつつある。

 

 大量生産の時代はとおの昔に終わり、多種多様なニーズやニッチな分野での需要創造が求められている。その流れに合わせて人材に求められる要素も、均質化した金太郎あめから多様化・個別化したものへと変わりつつある。

 

 さらに、一昨年あたりから、組織人でありながらも、個人のブランディングにより企業収益に影響力の与えている事例が複数出ている。例えば、株式会社幻冬舎の箕輪厚介氏や今は独立されたが元株式会社ZOZOの田端信太郎氏などが挙げられる。彼らは、組織で圧倒的な存在感や成果を挙げつつ、インターネットメディアを活用して対外的な発信も積極的に行っている。

 

 彼らに共通する要素は、「主体的であり、自律的である」ということである。自分の頭で考え、調べ、動き、軌道修正をかけながら前へ進んでいく。皆がみんな同じ才能を持っていなくても構わない。十人十色でも良いが、主体的・自律的であるということが求められる。

 

 なぜなら、昨今、ビジネス開発において、既存の延長線上ではなく、抜本的な変革案が求められるからである。一つの解に対して右向け右で一斉に動いても、外部環境の変化が速く先手を打った対応ができない。次から次に、アイディアをしかけていく、アレンジしていくことが求められる。だから、一人ひとりの主体性や自律的な姿勢が重視されるのである。

 

 ここで、「自律」の定義を再確認してみたい。「自律」という言葉をデジタル大辞泉で調べてみると、以下のように書かれている。「他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。感性の自然的欲望などに拘束されず、自らの意志によって普遍的道徳法則を立て、これに従うこと。」

 

「自分自身で立てた」「自らの意志で」

組織にいながらでも、この点が非常に重要ではないか。組織の歯車ではなく、自分というものをしっかり捉えることである。

 

  ちなみに、もう一つ同じ音ではあるが、異なる漢字の言葉に「自立」がある。

「他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助言を受けずに、存在すること。支えるものがなく、そのものだけで立っていること。」ビジネスの世界で言えば、「自立」は起業や独立開業を意味するだろう。組織に属する会社員としての「じりつ」は「自律」という言葉が適切であることがわかる。

 

 ただ、自律的という言葉が重要視される一方で、企業における人材育成の場面では、”承認教育”や”賞罰活動”といったことが盛んに言われるようになった。社員のモチベーションを維持・向上させる手段として用いられることが多いが、主体性や自律からは遠ざかっているように見える。

 

 自らの意志で、自ら取り組むということは自分が主体である。対して「認められる」「褒められる」「与えられる」ということが他者が主体である。「褒められたい」「認められたい」という欲求は、人間であれば誰もが持つごく自然な感情である。

 

 問題は、「褒められるために頑張る」という感情に駆られること。逆に言えば、「褒められなかったら頑張らない」ということになってしまう。完全に他者からの影響を受けて動く受け身姿勢である。

 

 子育てを通して、自分でも体験していることであるが、褒めるという行為は、回数を重ねると、それが当たり前となる。褒められないと、「何で褒めてくれないの?」と聞くようになる。企業においても、リーダー層を中心として「とにかく褒めましょう、部下の良いところを認めてあげましょう」いう運動をしてしまうと、褒めることばかりに目がいってしまう。

 

 インセンティブにしても同じで、報酬がもらえるからやると習慣づけができてしまうと、「もらえないならやらない」という状況になりやすい。承認”や”賞罰”を前提とした人材教育ではなく、独立した個人の集合体により助け合って、目的に向かっているという認識をそれぞれが持つよう、考え、気づく場を作っていく必要がある。

 

 人間は本来、自分で目的を定め、PDCAを回せる生き物である。大辞泉の言葉を借りるなら、「自分自身で立てた規範に従って行動すること」である。ただ、実際には経営者が組織の規範を作っていて、トップダウンで仕事が進んでいる場合、自分で決められない状況も多い。だから、組織の目標や課題、規範を理解しつつも、それを自分なりに解釈し、自己の課題や規範に焼き直す作業が重要になる。

 

では、人材開発や教育の場では何をすべきか。

仕事をうまく進める物事の捉え方、考え方を伝える、気づかせることである

 

 まず大前提として、一人ひとりの社員が「他者の期待に応える、承認がなくても自分は十分価値のある存在であること」を認識することである。仕事がうまくできないと、自分の存在価値まで否定する人も多い。仕事ができてもできなくても、自分の存在価値は変わらないし、自分への確固たる信頼である「自信」を無くす必要もない。自分への信頼は、どんなことがあっても大切にすべき自分の魂である。

 

 ちなみに価値といった時に、存在価値と経済活動において取り扱われる機能価値がある。機能価値とは、仕事における信用を高めること。最初は信用が低くて当たり前である。仕事における信用を高めるためには、どうするか?周りからの承認を沢山もらうことではない。評価されるように、動き回ることでもない。

 

・自分自身で仕事の振り返りを行い、軌道修正をすること

・自己の課題と他者の課題を切り分け、自己の課題に注力すること

・自分がやるべきこと、貢献すべきことを認識し、そこに集中すること

 ・上司とは対等の関係であると認識し、必要に応じて助言など働きかけを行うこと

 

 私が自身の経験をもとに、上記のことが重要であると認識したのは、心理学者アドラー氏の考え方を学んでからである。アドラー氏に傾倒するというわけではなく、こういう考え方、捉え方だったら上手くいったなという私自身の振り返りとアドラー氏の提唱する考え方が一致していたのである。

 

 特に、重要であるが難しいこととして、二つ目の課題の切り分け→他者との分離である。例えば、上司が承認するか否かは上司の課題であり、部下自身の課題ではない。他者の課題の中で決められる報酬を第一の目当てにせず、やるべきことをきちんとやることである。

 

 また、上司と対等な関係であるという認識も大切である。教える、教えられるという定義を作ってしまうと、何で教えてくれないの?となってしまう。上司が評価する立場で自分は評価される立場であると認識すると、評価されようと承認欲求が湧いてくる。

 

 これは一個人の決意だけでは、集団の風土に負けてしまう可能性が高いため、経営者や部門長などこれまで強い権限、影響力を持ってきた層が声をあげていく必要がある。組織全体に対等であり、お互い助け合うこと、一個人として尊重し合うことをことあるごとに発していくことである。

 

 自己を認め、使命を認知し、自身の仕事を客観的に観察し、振り返りながら、必要に応じて周りに働きかける。自分を高めよう、貢献していきたいという自分の想いに応えていこうとする姿勢が自律につながっていく。

 

 日本の教育制度を否定するつもりはないが、日本の学生は、先生や教科書から出されたお題を解くことに非常に慣れており、自ら課題を設定し、そのことについて自分で検証したり、議論をしかけていくこということに慣れていないと言われている。

 

 学校の先生の講義を聴く、問題集を解く、その解答の正しさを積み重ねるという受験スタイルの教育から卒業の段階で脱皮する必要がある。新入社員教育は、その重要な機会でもある。物事の捉え方や考え方を自律につなげる第一歩になるからである。何事も最初が肝心である。

 

 もうすぐ、入社の季節。自律につなげる教育という視点で、既存の取り組みを見直すことも、考えてみてはどうだろうか。